日別アーカイブ: 2023年7月7日

沖縄旅行 5 国際通り おもろまち

沖縄旅行記その5です。「国際通り」と「那覇新都心」のおもろまちを歩きました。

ユーチューブ(YouTube)に投稿された旅行系の動画をたまに閲覧します。ここ近年、旅行系配信者(ユーチューバー)が「那覇は大都会だ!」といった内容の動画も見ます。

沖縄県(うちなー)の県庁所在地・那覇市(なーふぁ)は現時点で31万人以上の人が住む中核市です。また、市域が狭いため、人口密度が高くなっています。そのため、市街地の密集したようすが大都会感を醸し出しているようです。日本語において大都市と大都会は言葉こそ似ていますが、意味は異なるようです。日本国内での「大都市」が東京都区部と政令指定都市(20市)のみを指すのに対し、「大都会」は一般に使われる言葉で(市町村の規模そのものよりも)発展した駅前や市街地・都心部などを指すようです。

まずは「沖縄県庁」へ向かいます。ゆいレール県庁前駅で下車してすぐに見えてきました。1990年(平成2年)竣工、地上14階、地下2階の立派な建物です。那覇市役所は沖縄県庁の右手に位置します。

そして「那覇市役所」へ。2012年(平成24年)12月に竣工された、地上12階、地下2階、塔屋1階というこちらも立派な役場ビルです。しかも外観がすごい! 旧福岡県庁跡地に建つ「アクロス福岡」の南側が森になっていますが(アクロス山)、那覇市庁舎もそんな風になるのでしょうか。現時点ではまだ緑が少ないですが、将来、市役所山(?)となりそうな予感がします。

沖縄県庁と那覇市役所の間に、「愛のシーサー公園」があります。噴水の中をメリーゴーランド風に回るシーサーの親子がかわいいです。

沖縄県庁


沖縄県庁 県庁前駅を出てすぐ


エントランス 両脇にはつがいのシーサー

那覇市役所


市庁舎 外観 左側より撮影


那覇市民憲章


「生誕」 朝倉文夫 制作:1946年


市役所前に置かれた雌雄のシーサー


シーサー 右 オス 阿吽(あうん)の阿(あ)


シーサー 左 メス 阿吽の吽(うん)


市役所敷地内の樹木

愛のシーサー公園


左は県庁舎 右は市庁舎 時計回りに回転するシーサー


シーサーのアップ

国際通り

「沖縄県庁」「那覇市役所」の次は「国際通り」を歩きます。ああ、ヒトひと人だらけ。この日は一日薄曇り~少し晴れ間もありましたが、なんにせよ暑いのでマスクをしている人が少ないようでした。海外からの観光客も多く、全くオフシーズンとは思えません。商店街で沖縄らしいものを見つけては携帯電話(二人ともiPhoneシリーズ)でパチリ!見ているだけでも楽しいものです。

しばらくは道なりに沿ってだらだらそうつきます(そうつく=博多弁で徘徊の意味)。長崎佐賀などではさるく、といいます(さるく=歩き回る=徘徊)。

画像はわたしが撮影したものと親族Nが撮影したものとが混じっています。また、国際通りの画像は、全体のごく一部分です。


薄曇りだがかなり暑かった


店舗A


店舗B


国際通り


店舗C


ポスター ゴジラ対沖縄の逆襲


店舗D


店舗E 国際通りでは有名な雌雄のシーサー


店舗F ライブハウス


店舗G その1


店舗G その2 めおと…


店舗G その3


ドン.キホーテ

この辺りから国際通りを離れて市場本通りへ入ります。商店街のど真ん中へ入り込みました。だらだらてくてく歩いていると、公設市場が見えてきました。リニューアルしたばかりの新しいテナントビルのようです。


那覇市第一牧志公設市場


店舗H


店舗I


店舗J

ゆいレール牧志駅付近

昼食を取ったあと、国際通りはまだ残っていますが、ゆいレール牧志駅へ向かいます。牧志駅から乗車して、おもろまち駅で下車しました。牧志駅のそばには「さいおん♡うふシーサー」が設置されています。2011年9月に完成、高さ3.4メートル、重さ約3トンあります。


牧志公園


壺屋焼 さいおん♡うふシーサー


壺屋焼 さいおん♡うふシーサー


銘板

おもろまち駅付近

県庁や市役所が立地する那覇市都心部は那覇空港に近いため、航空法により高さ制限がかかって高層ビルの建築ができません。そのため、空港から離れたこの地域が那覇新都心として近年、再開発されました。この付近は、かつては沖縄戦の激戦地でありました。第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)アメリカ軍によって、そこに住む住民が強制的に立ち退きを迫られ(土地収用令)、米軍関係者の住宅地となりました。36年後の1987年(昭和62年)に土地が全面返還され、その後は那覇新都心として開発されています。

おもろまちの「おもろ」の語源は琉球王国の古歌謡集「おもろさうし」より。「おもろさうし(おもろそうし)」は、尚清王(第二尚氏第4代)時代の1531年(嘉靖10年、中国・明の元号)から尚豊王代の1623年(天啓3年、明の元号)にかけて首里王府によって編纂されました。また、「おもろ」とは「うむい(人々の思い)」「うた(歌謡)」の意味があるといわれています。


那覇市副都心 おもろまち ペデストリアンデッキより


那覇市副都心 おもろまち


橋のそば

沖縄県立博物館・美術館

おもろまち駅よりまっすぐ道なりに進みます。かなり進んだ左手に、沖縄県立博物館・美術館が見えてきました。敷地内に2点の彫刻があります。建物の内部で、博物館と美術館に分かれています。特別展は見ていませんが、1階のロビーにて展示されていた樹脂製カタツムリなどの展示を楽しみました。


沖縄県立博物館・美術館 名標


「太陽と月のロマンス」 ゴヤ・フリオ  制作:2007年


「CONCRETE AND STEEL」 能勢孝二郎 制作:2007年


ロビーの展示物


展示物 カタツムリたち


展示物 外来種たち (上の画像の右奥)


展示物 パネル

その後は、近所にある複合商業施設内の食品スーパーにて夕食(晩飯)を購入。宿泊所にキッチンがあるので、簡単に作れるものを何点か購入しました。3食とも外食だとかなりお金がかかるので、キッチン付きの部屋で食事を賄うことで、外食の回数を抑えることができました。

那覇市内の中心部を歩いてみて、かなりの大都会ぶりを体験したわたしたちでした。

公式サイト 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)