首里城周辺 バリケン 猫
今回は、首里城公園付近のようすや周辺文化財の画像をアップします。円鑑池のバリケンや敷地内に棲みついている猫など、いろいろ雑多に貼り付けます。
付近のコンビニ
沖縄県立芸術大学
首里城公園のふもとに、芸術系の公立大学があります。さすがに学内に入るわけにはいかないので、食堂と塀に置かれたシーサーを撮影しました。
学食 沖芸食堂
シーサー
樹木に苗をくっつけている? 接ぎ木?
史跡 円覚寺跡
円覚寺(ウフティラ)は1494年に創建されました。琉球王国における臨済宗の総本山です。王家・第二尚氏の菩提寺として、1494年(弘治7年:明の元号)に第二尚氏王統の尚真王が亡父・尚円王の冥福を祈って創建しました。
琉球処分後、円覚寺の仏殿、三門(山門)、方丈などの伽藍は1933年(昭和8年に国宝(旧国宝)に指定されました。しかし、1945年(昭和20年)の沖縄戦で放生橋を残して全て焼失しました。
円覚寺
円覚寺 総門
龍潭 龍淵橋
龍潭(りゅうたん)は1427年(宣徳2年、中国・明の時代)に造成された人工池です。龍淵橋(りゅうえんきょう)は1502年(弘治15年、明の時代)頃に建造された、円鑑池(えんかんち)と龍潭との間に架かる石橋です。現在は修復されています。
龍淵橋より撮影 龍潭は1427年に造られた人工池
円鑑池 弁財天堂
円鑑池(えんかんち)は1502年に造られた人工池です。その中央に建立している弁財天堂(べざいてんどう)は1968年(昭和43年)に復元されました。龍潭とつながっています。
天女橋
円鑑池 天女橋 弁財天堂 右端の奥は龍淵橋
弁財天堂 正面
円鑑池では、バリケンの群れがくつろいでいました。人馴れした個体が多かったです。この付近に住みついているのでしょうか。
弁財天堂 バリケン
弁財天堂 バリケン 上とは異なる個体
バリケンサンバ(3羽)
円鑑池 バリケンの群れ
円鑑池 群れが移動する
三ばりトリオ
バリケンA
バリケンB
バリケンC
バリケンに占拠された天女橋
アカギの大木
アカギの大木は、戦前までは直径1メートルもの枝を、対面側の首里城壁まで伸ばしていたとのことです。戦後78年になり、枝葉は伸びていますが、まだまだ城壁には届いていません。将来、アカギの枝のアーチができるのが楽しみです(←っってその頃わしは生きてんのかい?)。
現在のアカギの大木 根元
首里城公園内には複数の猫(地域猫)が生息していました。わたしたちは2頭の猫を見かけました。食べ物は与えませんでしたが、紅葉狩りならぬ猫狩り(へ?)を楽しみました。沖縄方言で猫はマヤーと呼びます。
このマヤーAは「アカギの大木」のそばで見かけました。性別は分かりませんでした。まだ若い個体でしょうか。野性味あふれており、多分にこの付近の食物連鎖の頂点にいるかもしれません。耳はカットされていません。写真を3枚撮ったらすぐに草むらに隠れてしまいました。
マヤーA アカギの大木付近 にゃ~と鳴いていた
マヤーA 獲物をみつけた?
マヤーA シュッとした美猫さんでした
第32軍司令部壕を見た後です。このマヤーBを見かけました。相当に大柄なオス猫でした。右耳がカットされたさくらねこです。一生懸命に毛づくろいをしていました。見かけたのは第32軍司令部豪からあまり離れていない場所です。かなり近づいても逃げる素振りはありませんでした。この個体は、6年前に個人がアップしたYouTubeにも写っていました(その当時で成猫、すでにさくらねこでした)。野良猫で6年以上も生きるのはすごいことです。
彼は何を食べて生きているのでしょうか。CHAOちゅ~る?銀のスプーン?それとも野生のバリケn…(略)
⚓第32軍司令部壕 について
マヤーB 毛づくろいに余念がない
マヤーB この辺りのボス猫か
マヤーB この個体はかなり太っていた
愛猫おみそを留守番させて、当の飼い主らはよその猫に浮気をしまくる―という、本当に飼い主あるまじき姿でした。帰宅して、おみそ嬢がニャーニャーすりすり甘えて来た時は、かなり心が痛みました。いや、沖縄2日目に、親族Sから「餌入れが空っぽやったぜ」とラインが来た時は「おみそ!許せ!すまん!」と恐縮しまくりでした。
浮気者の飼い主を許してくれた慈悲深いおみそさま(福岡県産)
【首里城公園】はこれで終了です。しかーし、沖縄の記事はまだまだ続く予定です(え?)。