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2020年7月より

石碑 市役所跡

福岡市が誕生して90年にあたる1979年(昭和54年)、初代の市庁舎を指すための石碑が2基、建碑されました。

1889年(明治22年)の福岡市の発足時、面積はわずかに5.09平方キロメートル、人口は50847人でした。ちなみに天神の隣の警固は村(警固村)でした。福岡市は周辺の自治体(町・村)を吸収合併して面積と人口を増やしますが、これまでに合併した「市」はありません。最後に合併したのは、今から51年前の1975年(昭和50年)の早良郡早良町でした。

福岡市の市役所庁舎はは現在の庁舎で4代目です。初代(1代目)の市役所庁舎は、現在の天神1丁目、「天神ブリッククロス」のある場所に竣工されました。その5年後の1894年(明治27年)、ホテル「西鉄イン」の西側に2代目の庁舎が移転します。それから29年後の1923年(大正12年)、現在の市役所庁舎がある天神4丁目に3代目の庁舎が竣工しました。

現在の4代目庁舎は2度に分けて建設されています。3代目庁舎のある場所へ建設されたため、まずは1982年(昭和57年)に議会棟が、そして1988年(昭和63年)に行政棟が完成しています。

2022年(令和4年)2月13日


(仮称)福岡天神共同プロジェクト解体工事


石碑 左「天神一丁目」 右「市制九十周年事業」と記される 後方の狭い道路は北側へ一方通行であった


石碑 市役所跡 天神通線(正面の道路)のほぼ正面に位置していた

石碑

歩道より 向かって右の石碑

天神一丁目

市役所跡

福岡市長 進藤一馬書


歩道より 向かって左の石碑

市制九十周年記念事業

明治二十二年四月福岡市発足時の市役所はここで二十七年まであった 市域約五平方キロ 人口約五万人であった

福岡市

2026年(令和8年)4月7日、4月12日

新ビル「天神ブリッククロス」を建てる際に、北に抜ける一方通行の道路(天神通線(北側))を拡張し2車線の道路にするため、新ビル自体をセットバックして建築しています。そのため、石碑も少し西側に移動して再設置したようです。


天神通線 左は福岡天神フコク生命ビル 正面左は天神ブリッククロス南棟


天神ブリッククロス南棟 市役所跡の2基の石碑が見える


天神ブリッククロス南棟


石碑 市役所跡 やや西に移動か 正面は福岡天神フコク生命ビル


▢石碑 2基


石碑 左「福岡市」 右「福岡市長 進藤一馬書」


天神通線(北側) 車線が増えて道路が広くなった


天神通線 左はアクロス福岡 右は福岡天神フコク生命ビル

市役所庁舎(3代目、4代目)の模型は福岡市役所の15階と福岡市博物館(常設展示室)にそれぞれ展示されています。模型を見る限り、3代目庁舎は「地上4階建+塔屋2階」もしくは「地上3階建+地階(地下一階)+塔屋2階」のいずれかでしょう。車寄せより低い位置の窓が気になります。

1972年(昭和47年)に政令指定都市となり、1975年(昭和50年)に人口が100万人を超えた福岡市ですが、そのころにはすでに3目庁舎では事務処理を行うには手狭だったと思われます。


市役所庁舎(3代目) 模型 1923年(大正12年)12月竣工 福岡市博物館


市役所庁舎(4代目) 1988年(昭和63年)6月竣工 西側より撮影