日別アーカイブ: 2017年3月19日

大宰府政庁跡

3月17日、太宰府市に出かけました。今回は大宰府政庁跡から観世音寺、さらには太宰府市役所までです。

「大宰府」は7世紀後半、筑前国に設置された地方行政機関です。政庁は九州全体を治める役所・大宰府の中枢として栄えました。日本の西方面の防衛拠点として、また外国との窓口としての役割がありました。663年(天智2年)8月、白村江(はくすきのえ)の戦いにおいて大敗した倭(日本)は、唐・新羅が侵攻することをおそれ、国内の防衛強化として、水城(みずき)、大野城(おおのじょう)、基肄城(きいじょう)を築きました。また665年(天智4年)、博多湾近郊にあった行政機関・那津官家(なのつのみやけ)を現在の太宰府市観世音寺4丁目の地に移動させ、「大宰府」が誕生しました。7世紀後半にはじまった大宰府は、12世紀前半には廃絶したものとみられています。

大宰府(跡)は1953年(昭和28年)、国の特別史跡に指定されました。2015年(平成27年)、文化庁から「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」として、日本遺産に認定されました。

現在の大宰府政庁跡は、大きな礎石を残した「史跡公園」として整備されています。地元の人のほか、古代史に関心がある人や行楽客、(サクラの季節には)花見客が訪れてきます。また、大宰府政庁は「都府楼」ともよばれ、西日本鉄道の最寄り駅「都府楼前駅」の駅名にもなっています。


西鉄・都府楼前駅(二日市・久留米・大牟田方面) 天神方面は線路を超えた側に位置する


案内板

わたくしが大宰府政庁跡に出かけたときは、出入口付近の砂利を敷く作業がされていました。

敷地内では地元の子供たちがサッカーボールで遊んでいたり、歴史好きなおじさんが公園を整備していた男性に歴史的な話題をいろいろと語りかけていました。親子連れや犬を散歩に連れた人などが思い思いに過ごしていました。そして、政庁跡に足を踏み入れて奥に進めば、美しい和笛の音が聞こえてきました。音がするほうに向かったら、大宰府跡の北門を出た西側のあたりで、笛を吹いている人を見かけました。古代の施設跡で和の音色が流れてくるなんて、まことに風流です。

それから、懸念された男女不問で俺様な中国人観光客の姿は(このときは)見当たりませんでした。(´▽`)< ホッ


正面 階段の両脇に解説板が設置されている


入場口そばの解説板(左側)


入場口そばの解説板(右側)


入場口右脇の解説板


南門跡


園内 「史跡公園」「都市公園」としての大宰府政庁跡


画像奥は東脇殿跡


西脇殿跡


東楼跡


西楼跡


正殿跡左(西側) ハゼノキ


ハゼノキの前の解説板


正殿跡 左より「太宰府址」「都督府古趾」「太宰府碑」


都督府古趾碑


北を向いて撮影 左・ハゼノキ 中央より・3柱の石碑 右・大宰府展示館方面


南を向いて撮影 3基の石碑の前


南を向いて撮影 北門付近より 中央奥に3基の石碑が見える


北門から外に出たところ

季節は弥生3月。ウメの花がちらほら咲いていました。和の音色をバックにのんびり時間をすごしたのちは、政庁跡の右手(東側)にそれて、大宰府展示館方面へ。


ウメの花

小野老(おののおゆ)歌碑:あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり


政庁跡の東側 小野老の歌碑


大宰府展示館付近


中央は小野老の歌碑 右は「大宰府展示館」

大宰府跡の敷地内にある「大宰府展示館」へ。入場料は無料です。展示物は撮影禁止です。この展示館は、大宰府政庁の発掘の際に発見された、奈良時代の遺構「玉石敷の溝」を保存・展示するために建造されたものです。玉石敷の溝は、当時の政庁から排出された排水を処理する施設とみられ、その大きさからとても見応えがあります。また、大宰帥・大伴旅人の邸にて開催された歌宴を博多人形で再現した『梅花の宴』のジオラマは素晴らしいものでした。大宰府政庁復元模型も展示されており、当時は相当に立派な建造物であったと想像されています。


大宰府展示館 正面入場口 撮影ボード

撮影:2017年3月17日


お出かけマップ 大宰府政庁跡

(制作中)