日別アーカイブ: 2017年3月16日

太宰府天満宮 1

久しぶりの遠出です。福岡県太宰府市の「太宰府天満宮」と「九州国立博物館」に出かけてきました。福岡県内とはいえ、遠出(福岡市外に出る)は、昨年の3月以来です。今まで、時間的・金銭的のいずれも遠出をする余裕がありませんでした。今回の記事は太宰府天満宮です。しばらく続きます。

太宰府天満宮は、「学問の神さま」として有名な、菅原道真(845年8月1日(承和12年6月25日)~903年3月26日(延喜3年2月25日))を祭神としています。道真公は、平安時代初期の貴族であり政治家でした。901年(昌泰4年1月25日)、藤原時平の讒言(ざんげん)により、醍醐天皇が右大臣・菅原道真を大宰権帥として大宰府に左遷しました<昌泰の変>。道真公は2年後の延喜3年、帰京の願いも叶わず、大宰府にて薨去(こうきょ)しました。太宰府天満宮は菅原道真公の墓所でもあります。

参道


西鉄・太宰府駅前 参道のはじまり


参道のようす


九博アンテナショップ


御神牛前の鳥居 右は案内所 奥は延寿王院

境内


延寿王院 山門 立入禁止

太宰府天満宮は多くの参拝客でにぎわい、今では、受験生のみならず、中国人のツアー客が大挙して押し寄せています。残念なことに、中国人は概してマナーが悪く、日本人のわたくしは非常に不愉快な気分にさせられました。中国人が御神牛の像を見つけては、我もが先にと土足で台座に上がって記念撮影する姿には唖然とさせられました。マジ神罰が下るだろうな。ぜひとも下ってほしいぜ。我が物顔で大声かつ高い声で騒ぐ連中を見るにつけイライラさせられます。前回(12年前の夏)、太宰府天満宮を参拝したときは、現在のような中国人観光客の姿は滅多になかったように記憶しています。

御神牛はやさしく撫でるものです。目で見て楽しむものです。写真を撮るのはOK!しかし、台座とはいえ上に乗ったり、ましては尻(ケツ)を乗せるのはNG!


御神牛 延寿王院山門前 非常にマナーが悪い中国女!! 粗鲁的中国女人 中国人的举止不礼貌

天満宮の境内といえば二つの太鼓橋です。橋は進行方向順に、(南の)太鼓橋→平橋→(北の)太鼓橋、となっています。「(人生の)過去・現在・未来」を表しているといわれます。南の太鼓橋は「過去」、後方を振り向かずまっすぐ渡れよ。真ん中の平橋は「現在」、立ち止まらずに進行せよ。北の太鼓橋は「未来」、つまづかすに渡れよ。という意味です。また、いったん橋を渡り終えたら橋を逆戻りするべからず、といわれています。人生にたとえられている橋であると同時に、ただでさえ通行量が多い橋、通行人同士が正面でぶつかる可能性もあります。参道から本殿に向かう人を優先したいです。因みに、「恋人同士で太鼓橋を渡り終えると別れる」というジンクスがあるそうです。∑( ゜Д゜)え?そんな!

太鼓橋はかなり丸みがあります。橋を渡らずとも、脇の歩道を進めば本殿に向かうことができます。ベビーカーや車いす利用の方、または恋人同士の方は歩道を進まれたほうがよいでしょう。


太鼓橋 心字池に掛かる

南の太鼓橋を渡り終えたところに「今王社」、平橋の終点近くに「志賀社」が建立されています。いずれも末社です。ちなみに「今王社」には千社札がかなり貼られ、かつ、剥がされた跡もたくさんあります。志賀社は国指定有形文化財のため汚損すれば文化財保護法に抵触しますが、文化財に指定されていない今王社には千社札が貼られてしまうようです。千社札は自分の部屋や持ち物に貼ってはいかがでしょう。


末社 今王社 千社札が劣化したり剝がされたりして残念な姿に


末社 志賀社 国の重要文化財


太鼓橋 心字池に掛かる

橋を渡り終えたら、徐々に本殿に近づいてきます。右手の宝物殿は今週は展示替えのため休館とのことでした。宝物殿は次回のお楽しみ、ということでした。宝物殿の前方には、鹿、麒麟(きりん)、鷽(ウソ:鳥)などの像が建立されています。御神牛が全部で13体あるともいわれています。まさに動物に囲まれた神社ですね。


摂社 楓社 祭神は道真公の正室・宣来子(のぶきこ)


手前:麒麟像 右奥:鷽(ウソ)像


シカの像 左下:メス 右:オス


宝物殿 手前の石碑の左に小さな御神牛の像がある


鳥居 正面は楼門


手水舎 かなり立派な造り


御神牛 楼門の右側 手水舎の後方に位置 御神牛の像は全部で13体あるそう


御神牛 楼門の左側 昭和33年3月 福岡県糸島郡二丈村福吉(福岡県糸島市二丈)より寄贈

回廊の内部の画像は次回にアップします。

撮影:2017年3月16日


お出かけマップ 太宰府天満宮