日別アーカイブ: 2011年4月29日

志賀島 1

志賀島まで出かけてきました。

志賀島は陸繋島・海の中道と陸続きです。海の中道を通る県道59号線は、志賀島を周回する県道542号線(金印海道)とつながっています。542号線に入ってすぐ、右手に志賀海神社の大鳥居が見えます。大鳥居をくぐって、神社方面へ足をのばしました。

志賀海神社の創建は不詳です。奈良時代の731年(天平3年)には、すでにその名が見られます。古代の氏族、阿曇(安曇)氏(あずみうじ)ゆかりの神社として知られています。

志賀海神社には、雌雄のシカの像があります。その左隣に「鹿角庫(ろくかくこ)」があります。その中にシカ1万本以上もの角(頭蓋骨ごと)がぎっしりと納められています。乾燥していますが、やや独特の臭いがあります。

志賀島といえば「金印」です。国宝「金印」は1784年4月12日(天明4年2月23日)、筑前国那珂郡志賀島村において、農民の甚兵衛が発見したといわれています。志賀島は金印をモチーフにしたもの(金印バーガー、市営渡船のきんいん号、など)も多いです。金印の名を冠した「金印公園」は、島の南側、金印のほぼ出土地に位置します。

金印公園は、山の斜面にできた公園なので、あまり広くはありません。また、公園にしては勾配がきついので、足元に気をつけねばなりません。しかし、緑が豊かで、公園の最も奥にはサクラの木が植栽されています。春のサクラの季節には、ソメイヨシノの花が楽しめます。

金印公園の最深部からは海がよく見えます。現在は島の周囲を県道が走っていますが、江戸時代は細いガタガタの道が通り、海のすぐそばまで畑があったようです。正面に見える「能古島(のこのしま)」は万葉集にも詠まれています。概ね、この辺りを境に、右手は外海(玄界灘)、左手は内海(博多湾)です。常に波が荒い日本海に属する玄界灘と、台風や強風でも吹かない限りは海面が穏やかな博多湾、二つの海を見ることができます。

次回に続く 志賀島2

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