桜の花

今年は例年より早い桜前線の北上ですが、新型コロナウイルス蔓延のため、花見に出かけること自体、躊躇されます。現在は、福岡市内でもコロナウイルスの陽性患者が急増しています。不用意な外出で(いや不用意でなくとも)、いつ、どこで、ウイルスに感染するかわかりません。しかし、仕事や買い物には出ねばなりません。毎日、健康でいられるかひやひやしつつ生活しています。

昨日、児童公園の満開のサクラ(ソメイヨシノ)を携帯電話のカメラで撮影しました。ほぼ快晴でした。


児童公園の樹木A その1


児童公園 樹木A その2


児童公園 樹木A その3


児童公園 樹木B その1


児童公園 樹木B その2

児童公園は住宅街の中に位置するため、付近の建物(民家やマンションなど)の写りこみを避けるため、電話機を上に向けて撮影しています。


【4月11日:追加】

パソコンの調子が悪いため、ずいぶん間が開いてしまいました。4月5日、このページをアップしたあとに撮影したソメイヨシノの画像です。しかも公園などの樹木ではなく街路樹です。一生懸命に枝を伸ばして花を咲かせています。でもでも、今年の桜の画像はこれで最後です(´・ω・`)。


街路樹 さすがに歩道上では弁当は広げられない(´◇`)ゞ<あは!


街路樹 アップ


街路樹 アップ

松の植木と梅と桜とさくらねこ

本日(3月21日)、福岡でサクラ(ソメイヨシノ)の開花が発表されました。平年より2日早い、昨年と同じ21日の開花でした。今日はかなり暖かい日だったので、予想通りの桜の開花となったようです。

新型コロナウイルスが全世界で蔓延しているため、仕事や買い物を除く外出は極力避けていました。しかし、本日のぽかぽか陽気には勝てず、散歩に出かけました。例によって(?)福岡県護国神社と福岡城周辺です。


福岡県護国神社の境内では「植木まつり」が開催されていました。集合住宅ぐらしの身には、植木など夢また夢です。せいぜい、年末に小ぶりのゴールドクレストを購入するぐらい。そのゴールドクレストもあまり長持ちしたためしがありません。

松などの大型の植木は、広い庭のある邸宅、特に木造の住宅にぴったりですね。アニメに例えると、クレヨンしんちゃん宅(野原家:洋風)やのび太の家(野比家:和洋折衷)よりは、サザエさんち(磯野家:和風)に合いそうです。


「植木まつり」の幟


商品(松の木など)


上の画像の対面側 こちらにも松の木が並べられている 奥の石像は狛犬


そのまま国体道路を横断、北に位置する福岡城跡へ足を運びます。福岡城跡のある舞鶴公園は、福岡管区気象台にも近い桜の名所です。本日は水戸市、宇都宮市、岐阜市とならんで福岡市でも開花宣言が出されたので、大好きな桜の開花状況を確認したく出かけました。

てくてくと「搦(から)め手側」(追廻門跡)より入場しました。南丸多聞櫓が見えてきます。(前回の記事 史跡・福岡城跡3)2月上旬には梅の花が満開でしたが、現在は花も散り、小さなウメの実ができていました。

画像の梅園は「南丸多聞櫓」付近(六本松に近い)で、梅まつりの会場となる「二の丸梅園」からは少し離れた場所になります。


ウメの木 すでに花は散っていた


梅の実

梅を見た後は南丸多聞櫓へ向かいました。辺りでは笛の音が聞こえてきます。日本の笛のようです。多聞櫓の門をくぐります。笛の音は場内の四阿(あずまや)から聞こえてきました。どなたかが吹いておられました。笛の音に人が集まってきました。

ソメイヨシノはまだ硬いつぼみのままでした。気象台の標準木には数輪の花が咲いたもの(開花宣言)、他の木は休眠打破がうまくいっていないのかな?と少し心配になりました。


多聞櫓前の井戸 イベント中止の看板


ソメイヨシノ まだ硬い蕾のまま


ソメイヨシノの蕾


開花していないソメイヨシノ

開花はしばらくしてからだろうな?と思って辺りを散策してみると、1本の枝にはサクラの花が咲いているではありませんか!OH!一生懸命に咲く花にじんわりします( ´;Д;`)。


南丸多聞櫓の敷地内 この枝のみ花をつけていた


しばらく花を堪能してから、多聞櫓を後にしました。トイレの対面側のソメイヨシノの1本が、わずかに花をつけていました。おお!これも記念に撮影しましょう。わたしのほかにもこの花を撮影する人がいました。明日、明後日と花はどんどん増えてゆきそうです。


花をつけたソメイヨシノ


花のアップ


コロナウイルスが心配なので、あまり長居は禁物です。「桐ノ木坂門」を通って帰りの途につきました。その途中で、真っ黒な猫さんを発見!かわいい声で「んにゃあ~」と鳴いています。その黒猫の右耳の先がV字にカットされています。不妊・去勢手術が施された地域猫は耳先がカットされます。その形が「桜の花びら」に似ているため、別名さくらねこ。右耳の先がカットされているのがオス、左耳がメス。画像の個体はオスです。城内(町丁名)の城内(お城の敷地内)を仕切る地域猫ですね。


桐ノ木坂門付近 城内の城内にて


「さくらねこ」のあとをついてゆくと…


植え込みの中にもう一匹の黒猫を発見!

その黒猫のあとをついてゆくと、植え込みの中からカサっと音がします。よく見ると、別の黒猫が隠れていました。オス猫のお仲間のようです。植え込みの中にいた黒猫の雌雄はわかりませんでした。

黒猫さんらに別れを告げて、帰宅の途につきました。我が家の茶白の猫さん(おみそ)は部屋でお留守番です。愛猫のためにも急いで帰らねば。久しぶりの散歩にたくさんの春を見つけた一日でした。

福岡県護国神社 大濠公園

昨日は2月22日(ニャン・ニャン・ニャン)で「猫の日」、そして本日は令和になって初の「天皇誕生日」です。

はてなブログ「熊子の徒然日記」 愛猫おみそ


福岡県護国神社

世間―いや、全世界が新型コロナウイルス(武漢肺炎ウイルス)で大混乱している中、暖かい陽気に誘われて、日光浴がてらお出かけしました。目に見えないいろんなウイルスやら花粉やらPM2.5やらが、うじゃうじゃ空中に浮かんでいるでしょう。疲れは大敵なので、今回は適度に時間を切り上げて帰宅しました。

護国神社にて英霊に手を合わせ、その足で、大濠公園(南口)に入りました。自然界の水鳥に心を癒され、散歩中のワンコにも癒され、濠(池)を半周して北側の出入口に向かいました。


六本松側の鳥居


本殿

2月下旬なので、ひな人形が飾られていました。本殿の向かって右側に3台飾られていました。左は八段飾り、中と右は七段飾りです。護国神社の内裏雛は、向かって右が男雛(殿様)、左が女雛(姫様)なので「京雛」の飾りかたです。

因みに、3年前の2017年の飾りびなは、向かって右が女雛、左が男雛の「関東雛」の飾り方でした。九州の地なので、内裏雛の位置にはあまりこだわりがないのかもしれません。


ひな人形A 八段 京雛飾り


ひな人形B 七段 京雛飾り


ひな人形C 七段 京雛飾り


お祝いの日本国旗 画像左側に虹🌈が…?


県営大濠公園

大濠公園は大勢の人でにぎわっていました。先日、福岡市内で新型コロナウイルスに感染した人が出たと報道されましたが、公園は通常と変わりありません。老若男女、いつもと変わらず休日を楽しむ市民らの姿がありました。

濠(池)の周囲を走る人の姿もあれば、犬連れの姿もありました。日本の飼い犬といえば小型犬がメインですが、今回はコリーやシェパードなど大型犬の姿も見られました。

児童公園「くじら公園」は、たくさんの子供たち(とその保護者)の姿でいっぱい。新型コロナウィルスもどこ吹く風、元気な声が聞こえてきました。


福岡市美術館前 バリー・フラナガン「三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ」


公園のようす


カモの群れ


この位置からだと福岡タワーが低く見える


濠(池)のようす 小舟とスワンボート 奥は観月橋


くじら公園(児童公園)のキツネ像


濠(池)のようす 奥は観月橋


ユリカモメ ホオジロとともに「福岡市の鳥」に認定


ユリカモメ 嘴を閉じたところ(上の画像と同一個体)


ユリカモメの群れ

「暖冬」だった今年は、サクラの開花も早いといわれています。今年も花見に出かけたいです。ああ、一日も早い、新型コロナウイルスの収束を願っています。

鴻臚館跡展示館

「鴻臚館(こうろかん)」は古代の外交および海外交易の施設です。全国に3箇所、平安京(京都府京都市)、大坂・難波(大阪府大阪市)、福岡・筑紫(福岡県福岡市)に設けられていました。そのうち、場所が特定され、遺構が残るのは現在の福岡市中央区の「筑紫の鴻臚館」のみです。

鴻臚館は、7世紀後半(飛鳥時代)から11世紀前半(平安時代)までの約400年、大陸との対外交渉の窓口として、また、文化交流の窓口として重要な役割を担っていました。西暦688年(持統2年)から西暦1091年(寛治5年)ごろまで存続していました。


鴻臚館跡展示館 外観


鴻臚館跡展示館 入場口

筑紫の鴻臚館は「筑紫館(つくしのむろつみ)」と呼ばれ、大陸の唐・新羅・渤海から来日した使節は、まず鴻臚館に入館して手続きを経てから大宰府や都へ向かうきまりでした。


鴻臚館跡展示館案内図


ジオラマ


鴻臚館の施設を復元した建物です。完全な再現ではなく、一部分のみの施工です。足りない頭で想像力をフル回転して、脳内で立派な古代建造物を再現しておりました。この建物を見た感じでは、ある任意の施設の復元、というよりは、その当時の建築技術を再現したように思えます。


復元建物 正面


復元建物 側面


遺構 右上は復元建物の一部


遺構 奥は復元建物の一部


遺構 画像左より 江戸時代の井戸跡 堀込地業 礎石


平和台野球場の改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の遺構が発掘、奈良時代から平安時代までの出土品も多数発見されました。これら出土品は鴻臚館が廃止されたのちに、そのまま地中に埋められたものでしょうか。日本国内の木簡や瓦をはじめ、ペルシャのガラス容器、イスラムや朝鮮式の陶器、中国の陶磁器などが出土しています。


木簡


「伊貴作瓦」銘瓦 斜ヶ浦瓦窯跡(福岡市西区生の松原4丁目)


出土陶磁器


筑紫の鴻臚館といえば「トイレ🚽」ですね。鴻臚館跡から8世紀・奈良時代のトイレの遺構が発掘されています。日本最古のトイレの遺跡です。発掘当時、大変話題になったものでした。トイレは汲み取り式、かつ、跨って使用する(いわゆる和式)タイプです。

また、遺構から「籌木(ちゅうぎ)」と呼ばれる木べらも発掘されています。この木べらで用便💩のあとふき取ります。現代でいうトイレットペーパー的なものですね。横にして使うのか、縦で使うのか…う~む、わかりません。

(。´・ω・)(←チュウギ)<使用後は洗って再利用? 使い捨て?


籌木(ちゅうぎ) 画像をクリックしますとモアレのない画像が見えます


廃棄物 当時の食生活がみえる


順路にそって進んだ最後(入場口付近)に、「鴻臚館時代の香り」と称したお香が置かれていました。ふたを開けてふたについた匂いを嗅ぐと、ほのかによい香りがしてきました。


鴻臚館時代の香り 解説


鴻臚館時代の香り 左から 黒方(くろぼう) 侍従(じじゅう)

今回の記事はこれで終わります。わたしの場合、記事を書いている途中で飽きたり、くたびれるため、書き上げるのに時間がかかってしまいます。もう少しパパパっと記事を書き上げたいです。(*´Д`)💦はあ~

史跡・福岡城跡 その周辺

続いちゃいました~(*‘▽’)<あへ! 「史跡・福岡城跡」の周辺です。なんか、気の向くまま画像を貼って少しだけ記事を書き書きします。

旧母里太兵衛邸長屋門

母里太兵衛とは、福岡県の民謡「黒田節」でも唄われる黒田家の家臣「母里友信」(1556年~1615年/弘治2年~慶長20年)のことです。彼は稀代の大酒呑みといわれています。JR博多駅前広場に設置されている黒田武士の像が太兵衛さんです。(ブログ内記事「JR博多駅前広場 2」に記載)

この建造物は、その母里太兵衛の屋敷の門です。もともとは天神2丁目(野村證券福岡支店)に母里太兵衛の屋敷跡があり、長屋門のみ現存していました。1952年(昭和27年)ビル建築工事のため長屋門が取り除かれ、1965年(昭和40年)現在地に復元されました。立派な門構えですね。


旧母里太兵衛邸長屋門(復元) 全景


長屋門 「門」とはいってもワンルームぐらいの広さがある


長屋門 裏側


解説板


平和台陸上競技場(舞鶴公園陸上競技場)

第二次世界大戦終戦後の1948年(昭和23年)、現在の舞鶴公園は、第3回国民体育大会(国体)・秋季大会の会場となりました。そのメイン会場が現在の平和台陸上競技場です。お出かけした当日は、子供たちのサッカーの試合が行われていました。


平和台陸上競技場 遠景


福岡城むかし探訪館

鴻臚館前広場(平和台球場跡地)の対面側に設置されています。館内では福岡城のあらましをわかりやすく伝えるビデオが繰り返し上映されています。床に設置された福岡城を中心としたジオラマは見ものです。


福岡城むかし探訪館


撮影ボード 「官兵衛ゆかりの地・福岡」


鴻臚館広場(平和台野球場跡地)

福岡城むかし探訪館を出ると、すぐ目の前に鴻臚館広場が広がっています。広場の敷地内は飛鳥時代から奈良時代、平安時代まで現存していた鴻臚館の「北館」の施設全体、および、「南館」の施設の一部が含まれています。

鴻臚館広場はかつては「平和台野球場」でした。今から71年前の1949年(昭和24年)に建設されました。その48年後の1997年(平成9年)に、老朽化および歴史公園(鴻臚館広場)整備のため閉鎖されました。平和台野球場といえば「西鉄ライオンズ」ですね。


史跡・鴻臚館跡


史跡・鴻臚館跡 奥に「鴻臚館跡展示館」が見える


史跡・鴻臚館跡 展示館は画像右を進んだ場所に位置する

因みに「鴻臚館広場」は恒久的な施設ではありません。現在、福岡市は「国史跡鴻臚館跡整備基本計画」を策定中です。将来は鴻臚館の本格復元整備を行うため、現在は暫定的に広場を整備して来場者が利用できるよう解放されています。


鴻臚館跡展示館

鴻臚館跡展示館は、鴻臚館広場のすぐ南に建てられています。こちらは画像が多いので、次回にアップします。続きますね~(*´Д`)


鴻臚館跡展示館 外観