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続・志賀島 4

万葉歌碑

毎日なんとか頑張って記事を書いています。記事を書いているうちに、思い出したことがありました。6年前、志賀島(しかのしま)へ出かけた目的の一つが、島内に9か所、島外(海の中道)に1か所の計10か所に、万葉集の歌碑が建立されているのを探すことでした。

志賀島といえば、金印のほかにも、万葉歌碑が有名です。現在は万葉歌碑の側に福岡市教育委員会による解説板が設置されていますが、万葉歌碑自体が1970年(昭和45年)前後に建立されており、志賀島が「糟屋郡志賀町(しかまち)」のころの石碑も少なくありません。歌碑と解説板をアップしています。

【 】内は現在の町丁名・大字 大字志賀島のみ平仮名(しかしま)で表記 建立年月のあとは設置した当時の自治体名(糟屋郡志賀町および福岡市)を記載

石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)


石造宝篋印塔 1347年(貞和3年)造立 福岡県指定有形文化財


解説板

万葉歌碑1号碑 巻7・1230 作者未詳

ちはやぶる 鐘(かね)の岬を過ぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神(すめかみ)

(波が)荒れ狂う、鐘崎を(船で)通過しても、私は忘れません。志賀島に鎮座まします海神(わだつみ)を。


1号歌碑 1969年(昭和44年)6月 糟屋郡志賀町


解説板

【しかしま】石造宝篋印塔および万葉歌碑は、いずれも志賀海神社参道に建立されています。歌にある「鐘の岬」は現在の福岡県宗像市鐘崎です。

万葉歌碑2号碑 巻16・3862 山上憶良

志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄(あらお)らが よすがの山と 見つつ偲はむ

志賀島の山(の木を)、そんなに伐採しないでくださいな。あの荒雄(ひと)に、ゆかりのある山なので。眺望して(夫を)偲びたいのです。


2号歌碑 1970年(昭和45年)5月 糟屋郡志賀町


解説板

【勝馬】休暇村志賀島敷地内です。大崎展望台より20メートル東に建立されています。

万葉歌碑3号碑 巻12・3170 作者未詳

志賀の白水朗(あま)の 釣りし燭せる いさり火乃(びの) ほのかに妹を 見無よしもか裳(も)

志賀島の漁師が、釣りの際に灯す漁火の(ように)、わずかでも(かまわないから)妻(の姿)を、見る手段が欲しい。


3号歌碑 1970年(昭和45年)9月 糟屋郡志賀町


解説板

【しかしま】志賀漁港西側、国民宿舎しかのしま苑(現在は廃業)跡地に建立されています。

万葉歌碑4号碑 巻15・3664 作者未詳 しかしま

志賀の浦に 漁する海人 明け来れば 浦廻漕ぐらし かじの音聞こゆ

志賀の浦で、漁に勤しむ漁師は、(夜が)明けてくれば、海岸の湾曲した場所を(舟で)漕ぐらしい。(小舟の)櫓の音が聞こえてくる。


4号歌碑 1971年(昭和46年)3月 糟屋郡志賀町


歌碑 裏面


解説板

【しかしま】潮見公園です。展望台そばに建立されています。

万葉歌碑5号碑&荒雄碑 巻16・3869 山上憶良

大船に 小船引きそへ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも

大型船に、小舟を引き添えて、(漁師さんたちを海に)潜らせれば、あの荒雄(ひと)に、会うことができるでしょうか?


5号歌碑 1972年(昭和47年)2月 福岡市


荒雄の碑


2基ならんで設置されている


解説板

【勝馬】休暇村志賀島敷地内です。東側の駐車場付近に建立されています。

万葉歌碑6号碑 巻7・1246 作者未詳

志賀のあまの 塩やく煙 風をいたみ 立ちは昇らず 山にたなびく

志賀島の海女が、藻塩焼きをした煙が、海風が強いせいで、(まっすぐに)立ち昇らず、山のほうに棚引いている。


6号歌碑 1969年(昭和44年)6月 糟屋郡志賀町


解説板

【しかしま】蒙古塚の対岸に位置します。歌碑の裏手は崖になっており海が迫っています(遊泳禁止区域)。危険なので裏側には立ち入らないでください。

万葉歌碑7号碑 巻15・3654 作者未詳

かしふ江に たづ鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちしくらし毛(も)

香椎の浜では、ツルが鳴いて飛んでゆきます。(その様子は)志賀島の入り江に、沖の白波が、立って(押し寄せて)くるようです。


7号歌碑 1974年(昭和49年)3月 福岡市


解説板

【大岳4丁目】志賀中学校の敷地内です。県道59号線沿いに建立しています。この歌碑のみ「海の中道」にあります。

万葉歌碑8号碑 巻15・3653 作者未詳

志賀の浦に いざりする海人(あま) 家人の 待ちこふらむに 明しつる魚

志賀の浦で、漁に勤しむ漁師よ。家族が、(彼の)帰宅を待ち焦がれようとも、(夜が)明けるまで釣っているのか―魚を。


8号歌碑(部分) 1969年(昭和44年)6月 糟屋郡志賀町


歌碑全体像


解説板

【しかしま】志賀島(しかしま)小学校の敷地内です。校舎のすぐそばに建立されています。

万葉歌碑9号碑 巻16・3867 山上憶良

沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 たみて漕ぎ来と 聞こえこぬかも

沖にいる鳥よ。『鴨』という(名の)船が、(能古島の)也良の岬を、回って漕いで来たと(いう話は)、聞いていませんか? (『鴨号』は私の夫―荒雄が所有する船なのです)


9号歌碑 1976年(昭和51年)3月 福岡市


解説板

【しかしま】最も大型の歌碑です。住宅街の西端に位置する「棚ヶ浜海岸」に建立されています。好天時にはシーサイドももちの風景が見られます。

万葉歌碑10号碑 巻3・278 石川君子

志賀の海人は 藻刈(めか)り塩焼き いとまなみ 髪梳(あづり)の小櫛 取りも見なくに

志賀島の海女は、海草を採取したり塩を焼いたりで、(息をつく)暇もない。髪を梳く櫛さえ、手にしていないようだ。


10号歌碑 1976年(昭和51年)3月 福岡市


解説板

【勝馬】勝馬小学校裏の海岸に建立されています。最も小型の歌碑でスタイリッシュな印象です。

万葉集、なんとも久しぶりでした。実は昔、2006年から2012年にかけて6年間、万葉集をブログにアップしておりました。2011年はまだ万葉集ブログを更新していたころです。ハンドルネーム「パンダ」にて、Teacup.のブログサービス「Autopage」にアップしておりました。当時は、時間はなかったもの、まだ体力的にも精神的にも頑張りがきいていたころです。ブログは2012年に終了後はずっと放置、ネットの海を漂っています。(´・ω・`)

万葉集ブログ まんえふしふ・その1

万葉集ブログ まんえふしふ・その2

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万葉集ブログ まんえふしふ・その4

【追加 2022年8月】

Teacup.の掲示板およびブログのサービス終了につき、万葉集ブログ「まんえふしふ」をgooブログに移転しています。上記のリンクもgooブログのものに張り直しています。

撮影はすべて2011年


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