企画展の次は常設展へ向かいます。当日は入場口がポールパーテーション(ベルトパーテーション)で左右(向かって右は入口、左が出口)に分かれていました。間違えないように右側から入場します。
場内は計11のフロアに分かれており、1から順番に「順路に沿って進む」ようになっています。企画展の会場が、4つ葉のクローバー型に分かれており、好きなコーナーから見ることができますが、常設展は順番に進行するようになっています(ちなみに、九州国立博物館の常設展では順路が設けられておらず、好きなコーナーから見たり、再度元のコーナーに戻ることも可能です)。
1・金印の世界
まず最初は福岡らしく金印です。入場したら正面にバーンと国宝・金印(漢委奴国王印=かんのわのなのこくおういん)がケースの中に鎮座していました。
今から240年以上も前の1784年4月12日(天明4年2月23日)、金印が発見されました。発見者は秀治、喜平という2名の百姓、発見場所は志賀島(しかのしま)、筑前国那珂郡志賀島村叶崎(かのうのさき)または叶ノ浜の水田、金印を那珂郡奉行所に提出したのは二人の監督的な立場であった甚兵衛という人物です。
大きさは(一辺の平均が約2.3センチメートル、つまみ(鈕)を除く高さ約0.8センチメートル、つまみを入れた高さ約2.2センチメートル)。印刷物や映像で見る限りかなり大きく感じますが、実物は相当に小さいです。
金印 左:正面から 右:後方から
封泥(ふうでい)
金印使用例(復元)
体験コーナー 金印(複製)を押した跡
2・福岡のあけぼの
日本史での時代区分は原始。氷期(氷河期)のため九州と大陸が陸続きだったもの1万5千年前に氷期が終わり、間氷期(温暖化)となり、九州と大陸は海に隔てられました。その頃の人類が使用したとされる石器などが展示されていました。
旧石器時代 氷期の狩人と環境 氷期の環境(正面のマップ)
日本の歴史を1メートルの定規で測ってみると…
縄文土器
▢貝面 左・中:新石器時代(韓国・釜山広域市) 右:縄文時代(熊本県熊本市南区)
3・奴国の時代
弥生時代後期の西暦57年(1世紀・建武中元2年)、後漢の光武帝が倭の奴国の王に「印綬」を授けたとされています。大陸から朝鮮半島を通って、日本(倭国)にさまざまなモノや文化が伝わりました。また、「1・金印の世界」はこのころの時代です。
持ち物 左より現代人(スマホ&腕時計またはデバイス)、弥生人(矛)、縄文人(弓と矢じりが付いた矢)
博多区 板付遺跡
博多区 上:伐採用の石斧 西区 中:石斧の製作方法
西区 今津唐泊沖の海中 広形銅矛
博多区 土器
市内全域 甕棺墓
4・鴻臚館の時代
時代区分は古代。鴻臚館は平安時代の外交施設です。古墳時代の西暦536年(宣化天皇元年)に那津(なのつ)のほとりに「那津官家(なのつのみやけ)」を設置したのが鴻臚館の始まりです。飛鳥・奈良・平安時代(~11世紀まで)の外交および海外交易の拠点となりました。
弥生時代終末~古墳時代初頭 博多区 土器
鴻臚館といえば籌木(ちゅうぎ)ですね🚽💩
遣唐使船 模型
5・博多綱首の時代
11世紀半ば(平安時代)、対外交流の舞台が鴻臚館から博多へ移ります。宋から来日した人々が博多に唐房(チャイナタウン)を築きます。ここから6と7のコーナー(中世~近世)は写真撮影が禁止の区域が増えます。フラッシュ撮影から展示品を守るためや、撮影のため任意の場所に留まることで人の列が詰まるなどのほか、ユーラシア大陸から半島を経由して日本に渡って来たものも少なくないので、そのあたりもいろいろあるのかも…?
蒙古碇石(もうこいかりいし)
12~13世紀 平安時代後期~鎌倉時代前期 龍泉窯系青磁碗・平底皿 井戸に廃棄された中国の磁器 重要文化財
6・博多豪商の時代
時代区分は中世。鎌倉時代中期、1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の二度にわたる元寇の後、博多の交易の担い手として博多商人が大頭します。博多は室町時代の日明貿易の舞台にもなります。
7・福岡藩の時代
時代区分は近世。安土桃山時代~江戸時代。関ヶ原の戦いで活躍した黒田長政は、徳川家康から広大な筑前国を拝領し、筑前国の福崎村に広大な城「舞鶴城」を築城しました。この地を福岡と名付け、城下町「福岡」と隣接する商業の町「博多」は経済と産業の中心となりました。
江戸時代貨幣 金貨・銀貨
8・近代都市・福岡の時代
時代区分は近代。明治~大正・昭和(終戦直後)まで。1889年(明治22年)、大日本帝国憲法が発布されました。4月1日、博多と福岡を合わせた「福岡市」が誕生しました。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には空襲に見舞われ終戦を迎えました。
福岡市役所3代目庁舎 1923年(大正12年)落成
福岡市役所4代目庁舎 1982年(昭和57年)左:議会棟 1988年(昭和63年) 右:行政棟が落成
午砲 「ドン」と呼ばれ、1888年(明治21年)より1934年(昭和6年)まで続けられた 展示されているのは3代目・1903年(明治36年)以降に使用
1916年(大正5年)に完成した自動車「アロー号」 左はカフェ・ブラジレイロ
カフェ・ブラジレイロは現在も博多区店屋町で営業している
ブラジレイロ店内 過去に営業していた店舗を再現した
▢戦火に焼けた街、引き上げ者を受け入れた港 画面中央上は投下された焼夷弾
9・現代の福岡
戦後の高度経済成長を経て1989年(平成元年)、埋立地の早良区百道浜・中央区地行浜(シーサイドももち)において、地方博覧会「アジア太平洋博覧会」が開催されました。数多くの建造物(パビリオン)がありましたが閉幕後は取り壊され、2026年(令和8年)現在、残っているのは恒久的な施設として建設された「福岡タワー」と「福岡市博物館」のみです。電波塔の福岡タワーは博覧会のモニュメントとなり、福岡市博物館はテーマ館となりました。
10・福博人生
時代区分では8と9ですね。福博で生活する架空の4世代の話です。大正生まれの両親「もうひとつの世間」、昭和の戦中戦後生まれの息子夫婦「世間になじむ」、昭和40年代中葉に生まれた男孫夫婦(妻は関東から博多に(=都会から地方に)嫁いだ)「世間をしる」、平成(2000年)生まれのひ孫(男子)「世間にふれる」の4世代のストーリーです。
博多どんたく
11・山笠の世界
常設展示の最後は、博多祇園山笠です。展示物は金印で始まって山笠で締めます。山笠の起源はいくつかありますが、最も有力なのは、1241年(鎌倉時代・仁治2年)といわれています。時代区分では6以降です。会場では舁き山「軍師官兵衛之勲」が常設展示されています。甚兵衛さんが届け出た金印に始まって、官兵衛さんの舁き山で常設展示は終わります。
六番山笠 東流
舁き山「軍師官兵衛之勲」
出口には、デジタルサイネージが設置されており、そばに近寄ると、コメディアン・俳優の故小松政夫氏の長法被姿が映し出されます。最後は博多手一本で締めます。
小松政夫さん
わたしたちは会場を後にしました。また、この日は特別展「ディズニー・アニメーション・イマーシブ・エクスペリエンス」の最終日でした。最終入場時刻の16時30分までに間に合わせようと多くの親子連れの入場待ちの列がありました。子供の泣き声もあちこちで起こり、親御さんは大変だったでしょう。
その後は福岡タワー方面へ向かいました。玄界灘沿いゆえに、海風が強く、気温以上に肌寒い日でした。
撮影:2026年2月1日、2月11日
