日別アーカイブ: 2025年4月1日

笹山公園

糸島市の筑前前原駅の南側にある笹山公園まで出かけました。駅から約5~10分ほどで到着する小山に位置する公園です。かつて戦国時代には「舞岳城」が築城されていたようです。城主は波多江氏といわれています。波多江の名は、現在では「波多江〇丁目」として糸島市東部の町丁名や大字名、JR筑肥線の駅名として残っていますが、波多江氏はかつて存在した波多江村を治めたといわれています。


筑前前原駅前の信号機 前の字が3つもある

笹山公園は出入口が何種類かあり、公園北口、南口、西口、遊歩道入り口、公園南階段口とあるようです。行きと帰りでは違う道を通りました。この高台(というか丘)の標高は74メートルあります。坂がきついため、サンダル類では歩くのが辛いかも。地元の人であろう親子連れや高齢者のグループらが丘を上っていく姿が見られました。

お天気はあいにくの曇天、せっかくのサクラの花も霞んでいました。写真撮影の際はあまり人が写り込まないように配慮していますが、この日は曇天かつ気温も上がらなかったもの、かなりの人出がありました。満開宣言が3月28日だったので、すでにサクラの花びらが散りつつありました。


筑前前原駅の南側の風景

ルートは、筑前前原駅を南に出て、そこから東進し、1つ目の交差点を右折して南進、途中のY字路を右に進み、住宅街の上り坂を進んですぐ下の画像の出入口へと向かいました。


公園へ行く道の一つ


かなり坂がきつい


▢看板 左の看板の設置者は糸島市 右の看板の設置者は(旧)前原市


名標 「前原市」と記載されている


左側の脇道 ビーチサンダル🩴やつっかけ👡、下駄はしんどいかも

まずは「北展望台」を目指します。桜並木がすばらしいです。毎日、ここの道を歩けば数か月で超健脚になること間違いないでしょう。


右側の北展望台へ進む


途中の風景


北展望台 何台かのベンチがあり、昼食を取る人が多かった


北展望台でのようす


花のアップ

展望広場へ向かいます。桜並木の丘を上り詰めると、開けた場所へ到着しました。ここは展望広場で、立派な慰霊塔が建立されています。舞岳城の天守閣があった場所ともいわれていますが、現在では遺構は残っていないようです。


左側の道を上る


展望広場に到着


慰霊塔


▢慰霊塔 解説板 一部写り込みを消している(右下部分)

慰 霊 塔

日本の明治・大正・昭和の時代は、諸外国を相手にした戦争が続きました。

この戦争は、日本にとっても諸外国にとっても大きな被害をあたえることとなり、特に人の尊い生命がたくさん失われたのです。

この慰霊塔は、戦争で亡くなられた方々四二四の霊をお慰めし、戦争を繰り返さない誓いをこめて建てられました。

この地球から、人間にとって最も悲惨な戦争がなくなることは、誰もが望んでいることです。

世界の平和と人の生命の尊さ、そして人権がどんなものにもかえられない大切なものであることを、この石碑は教えています。

前 原 市



展望広場のようす


展望広場のソメイヨシノ

広場でゆっくり時間を過ごしてから丘を下ります。来た道とは違う道を通ります。途中でかなり急な階段を見かけました。もし、つまずいて下まで転がれば、痛いわ辛いわ恥ずかしいわで、この階段は通らずに道なりに進みました。


この道を下る


ひえええええ😱 この階段はスルー


左は駐車場 この時間帯は満車であった


前の画像より少し下る 駐車場は看板の奥に位置する

桜のトンネルを抜けて、公園をあとにしました。ここが糸島市でも一番の桜の名所といわれるのも納得です。ご近所さんなら、桜の季節なら毎日でも出かけたいほどです。画像では人がほとんど写っていませんが、時間的にはちょうど昼食時とあって、家族づれなどで混みあっていました。


前原駅南の交差点 階段は「遊歩道入口」


前原駅南の交差点を北進するとJAの駅ビルが見えてきた

この公園自体が、かつての前原市時代に整備されたためか、名標をはじめ「前原市」の名前が残っています。そのため「前原市」と現在の「糸島市」表記が混在しています。

撮影:2025年4月1日