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山ノ鼻古墳公園

前回の記事の続きです。九大学研都市駅の南に近隣公園「山ノ鼻古墳公園」があります。駅を背に(南を向いて)右側手前が児童公園、その奥がグラウンド。左側が「山ノ鼻1号墳」です。

山ノ鼻1号墳は国史跡「今宿古墳群」のうちの1基で、前方後円墳です。4世紀前半・古墳時代に造営されたとみられています。墳長(全長)44メートル、後円部径約27メートル、前方部長20メートルで、首長墓の系譜で最古の墓と位置づけられています。竪穴式石室の可能性が高く、古墳から埴輪は発掘されていません。

福岡市教育委員会による山ノ鼻1号墳の発掘調査は1990年(平成2年)と1999年(平成11年)、2000年(平成12年)の3回にわたって行われました。1990年の調査で、古墳の斜面に敷き詰めた「葺石」が発掘されています。

今宿古墳群は西区(旧糸島郡域)の各地に点在しています。古墳時代(4世紀中頃~6世紀)に築かれた前方後円墳13基(現存は11基)から構成されています。このうち7基が2004年(平成16年)に史跡「今宿古墳群」として国に指定されました。

今宿古墳群:鋤崎古墳(今宿青木)、大塚古墳(今宿)、山ノ鼻1号墳(徳永北)、若八幡宮古墳(徳永)、丸隈山古墳(周船寺)、兜塚古墳(飯氏)、飯氏二塚古墳(飯氏)


山ノ鼻「1号墳」という名前からして、山ノ鼻2号墳はあるのでしょうか。2号墳はかつては「ありました」。さらには3号墳も。

2号墳は、現在の山ノ鼻古墳公園グラウンドの西側に存在していました。1925年(昭和元年)頃(?)の墓地・農地の開墾で墳丘の大半が削られたようです。1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にわたって山ノ鼻2号墳の発掘調査が行われています。現在、2号墳は都市開発によって消失しています。3号墳は1号墳のすぐ北側に位置していましたが、かなり小さいもののようです。こちらも消失しています。


市道を超えたところに公園がある


海抜5.3メートル 避難場所となっている


西側は児童公園 昔は池(山ノ鼻池)であった


山ノ鼻1号墳のふもと(このあたりに3号墳があったか)


1号墳へ上る階段


案内板

古墳の頂上から見た風景です。寒かったですが、見晴らしがよいのでかなり写真を撮りました。画像は一部加工しています。


東側 住宅街が広がる 奥は長垂山 一部画像を加工


東側 長垂山を越えると旧早良郡の区域になる 一部画像を加工


南側 自動車道(上:福岡前原有料道路 下:今宿バイパス) 後方は高祖山(たかすやま)


国指定史跡 山ノ鼻1号墳(今宿古墳群)


古墳の頂上の風景


画像奥は九大学研都市駅方面


画像右は古墳の南側


北側 九大学研都市駅


西側 児童公園 かつては山ノ鼻池であった


西側 グラウンドの奥に2号墳があった(現在は消失)


古墳の全体など


古墳 全体


グラウンド側より撮影


削れた斜面

古墳を造営した当時の首長(豪族)らは、地域(クニ)の実力者として、自分の力を知らしめたかったことと思われます。それが現代では、墓があばかれて【発掘】、埋葬品は取り出され【文化財登録】、墓をあれこれ改変されたあげく【公園整備】、下々の者(一般市民)の見世物にされるわ【展示・公開】、で首長さまもあの世ではたまったもんではないかと思われます。

下々のやつらが、こともあろうにワシの墓のてっぺんに上るわ、駆け上がったり下りたりするわ、斜面の一部も削れておる。せっかくワシが大金ば掛けて(現代の貨幣に換算すると数十億円以上)造営した古墳が!クニで一番偉いワシの墓が!遥か未来では下々のやつらの遊び場になっとるやんけ!ふんぬーー!!

それでも、まあ、21世紀の現代の市民たちには憩いの場であるには違いありませんね。