舞鶴公園 2

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鴻臚館展示館(2020年2月7日)

天守台を下りて、梅園での花見を楽しんだあとは、鴻臚館跡展示館へ向かいました。数年振りの展示館です。この展示館は鴻臚館の遺構をはじめ出土品の展示、復元建物、展示パネルが掲示されています。かなり見ごたえがありました。


外観


受付

順路(時計回り)にそって発掘された展示物を見て回ります。ごみとして打ち捨てられた陶磁器などが展示されています。火災などのアクシデントで商品としての価値を無くした陶磁器が瓦片などと一緒に、ごみ廃棄場とされる場所から発掘されたものです。見ての通り瓦礫そのものですね。


捨てられた陶磁器 解説板


瓦礫(がれき)そのもの

のんびりと館内を巡りました。昔は陶器でできた枕が使われていたようです。鳥のデザインは可愛いですが、実際に枕として使用すると、角が当たって痛いかもしれません。


三彩印花鴛鴦文陶枕(さんさいいん かえんおうもん とうちん) 複製


青磁 水注


陶磁の道 パネル


青緑釉陶器 壺(壷)


遣唐使船(模型)

展示館のメインの展示物である遺構は8世紀、奈良時代のものです。礎石や柱の跡などが見られます。復元建物は平安時代の建築資料に基づいて再現されています。


遺構 奥は復元建物 東から西方向を見る


遺構 アップ


遺構 北から南方向を見る


遺構 左は復元建物


復元建物 内部

鴻臚館の遺跡のうちでもっとも印象的なのは、陶磁器のみならず食、そしてトイレ関連のものでしょう。史料を見る限り(鴻臚館に出入りできる上級国民に限られそうですが)それなりに豊かな食生活のように思われます。

トイレ遺構から発掘された人糞(もちろんいろいろ分解されているでしょうが)から種や動物の骨、寄生虫などが見つかっているとのことです。ああ、すごすぎる…。


パネル 鴻臚館で食べられていた食材を使った料理


パネル 奈良時代のトイレ


籌木(ちゅうぎ) 獣骨片 など


パネル 籌木(ちゅうぎ)

食事中はこれらの画像は見ないほうがよさそうですね💩💦。展示館を出たあとは「福岡城むかし探訪館」を経て「(伝)潮見櫓」「下之橋御門」方面へと向かいました。

(伝)潮見櫓は、なぜ「潮見櫓」の前に「伝(でん)」がついているのでしょうか。

もともと福岡城内に建立されていた、現在、(伝)潮見櫓と呼ばれる建物は、大正時代初期に浜の町(中央区舞鶴三丁目)の旧黒田家別邸に移築されました。その後、1956年(昭和31年)に現在の場所(下之橋御門の横)に再移築されました。1991年(平成3年)、これまで潮見櫓とされていた建物が、実は潮見櫓ではないと分かりました。

潮見櫓は、玄界灘や博多湾を監視するための施設でした。福岡城から博多区千代四丁目の崇福寺(そうふくじ)境内へ移築されていた月見櫓が、1991年(平成3年)に本物の潮見櫓であることが確認されました。そのため、現在の城内にある櫓を「(伝)潮見櫓」と呼ぶようになりました。


左:(伝)潮見櫓 右:下之橋御門

(伝)潮見櫓の隣に建つ下之橋御門は、福岡城の西側にあります。城の東側には上之橋御門が、南側には追廻門があります。城内へ出入りするには、橋を渡らねばなりません。

下之橋御門は江戸時代後期の1805年(文化2年)、二層の櫓門として建立されました。明治時代(もしくは1934年(昭和9年)以前)に一層に改修されています。その後、2000年(平成12年)8月、不審火により下之橋御門は焼失しました。2008年(平成20年)に焼け残った部材を再利用した復元工事が行われました。


下之橋御門 内側より撮影 左は(伝)潮見櫓


下之橋御門 外側より撮影 右は(伝)潮見櫓


下之橋御門を抜けたところ

撮影:2024年2月24日