佐賀県唐津市まで出かけました。散歩というよりは半日の小旅行です。唐津城を見たくなったので、紅葉狩りを兼ねてお出かけしました。前回の唐津までのお出かけから4年半が過ぎていました。
本日の天気は「一応は」晴れでした。ただ、この季節は北部九州特有の曇りがちの天候のため、晴れているのか曇っているのか判断に迷う天気です。福岡市も糸島市も唐津市も、なんか似たような天気でした。
行程は 唐津駅→(昭和バス)→唐津城→(徒歩)→旧唐津銀行→唐津駅 です。
唐津旅行(お散歩)記事の1回目は唐津駅と旧唐津銀行、2回目は唐津城、3回目は唐津城のふもとの猫をアップします。
【唐津駅】
柱の3方向を囲んで唐津市内のいくつかの幼稚園の園児が作った曳山(ひきやま)が展示されていました。どれもすごい力作ですね。台の部分の漢字も(多分に)先生の字に混じって子供の字らしいものもありました。
ミニ曳山A
ミニ曳山B
ミニ曳山C
ミニ曳山D
パネル
駅前広場
唐津駅
唐津駅を出たのが13時ごろでした。ここから昭和バス・唐津市内線東コースに乗って唐津城へ向かいます。バスは小型車で13時10分に唐津駅を発車しました。唐津城入口のバス停で降りて、目指すは唐津城へ!
唐津城での楽しい時間を過ごしたのち、徒歩で唐津駅方面へ向かいました。その途中、旧唐津銀行の建物に気づき、外観の写真を撮っていました。表玄関を見ると、入場無料の案内があったので、中に入りました。係員さんから「写真撮影はご自由に」とのことで、たくさん写真を撮りました。ブログではその一部をアップします。
明治時代の建築家・辰野金吾(1854年(嘉永7年)~1919年(大正8年))が監督した、地階を含む一部3階建ての建物です。彼は日本銀行や東京駅などを手掛けた日本の建築業界のパイオニアです。設計者は竣工当時27歳の田中実です。唐津銀行本店として1910年(明治43年)8月に着工、1912年(明治45年)3月に竣工しました。唐津銀行は1931年(昭和6年)に他行と合併し、唐津銀行の名称は消えてしまいました。現在の佐賀銀行の唐津支店として1997年(平成9年)まで営業していました。
ここの地盤は海抜4メートル
旧唐津銀行 側面
側面 左側
正面 二つの出入口のうち入館口は左
1階は、窓口のある旧公衆室(エントランスホール)、職員が業務をする旧営業室(多目的ラウンジ)のほかに旧重役室、旧応接室、そして非公開の旧金庫室などがあります。
入場口そばの像 左:辰野金吾 右:曽禰(そね)達蔵
旧公衆室 カウンター
カウンター 奥は旧営業室
旧営業室に入ったところ 左:旧重役室 右:旧応接室
旧重役室
旧営業室のフロア
旧営業室 暖炉の前のクリスマスツリー
フォトモザイク 祝東京駅100年 佐賀県立唐津工業高等学校建築科制作
旧営業室を出て2階の展示場へ
レッドカーペット敷きの階段
レッドカーペットが敷かれた階段を上がります。吹き抜けから見えるフロアが高級感に溢れます。2階は辰野金吾記念館となっています。広い旧総会室(展示ホール)のほか、立入禁止の旧応接室(貴賓室)、旧予備室(展示室A)、旧待合室(展示室B)、旧配膳室があります。
吹き抜けからフロア(旧公衆室)を望む
旧応接室(2階) 文化財保護のため立入禁止⛔
旧総会室(展示ホール)には多数の資料が展示がされています。そのうち数点の模型は佐賀県立唐津工業高等学校の生徒が製作しています。模型には氏名や顔写真が載っているためブログではアップしていません。唐津駅で手作りの曳山を展示した幼稚園児といい、精巧な模型を製作した高校生といい、将来は地元(または東京など)で活躍するであろう子供たちです。
東京駅 銅板飾り 試作品
折り鶴
東京駅中央ヴォールト頂部飾り(試作品)
旧配膳室 螺旋階段 小屋裏(上階)への昇降のために設けられた
午後3時を大幅に回ったので家路まで急ぎます。唐津に着いたのが午後1時だったので、正味3時間弱の唐津の旅でした。また唐津へは何度でも出かけたいものです。
時計は午後3時40分を指していた
えきマチ1丁目
次回に続く 唐津城
公式サイト 辰野金吾記念館 旧唐津銀行