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天神中央公園 空誉上人の碑

2020年最後の記事は、ブログに取り上げることが多かった天神中央公園です。お天気がよかったので絶好のお散歩日和でした。以前より気になっていた公園の南側(噴水の裏手)は、相変わらずの工事中でした。それでも、前回は見ることができなかった「石碑」「墓石」を見ることができました。

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天神中央公園管理事務所の解体工事のあとは、どうやら雨水管の工事がはいっているようです(だから工事が続いているように見えたのね)。福岡県発注の工事から福岡市発注の工事と続いています。現在は石碑・墓石は工事用のフェンスの内側に仮置きされている状態です。

石碑「福岡藩刑場跡石碑」は、1984年(昭和59年)に天神中央公園の南側に設置されました。もとは、この地に僧侶・空誉(くうよ)上人を供養する祠(ほこら)が建立されていました。

空誉上人はかねてより黒田忠之公と関わりがありました。黒田家の家臣・後藤又兵衛が黒田家と敵対している豊臣家のスパイではないか?との疑惑が、徳川家より持ち上がりました。大阪城に入城している又兵衛の説得のため空誉上人が大阪城に派遣されたもの、彼は又兵衛の説得に失敗しました。その一方、空誉上人もまた、大阪(豊臣家)と内通していると言う噂が流れ、彼は黒田忠之からの怒りを買い残忍な方法で処刑された―と伝えられています。その後、空誉上人の遺体は彼の弟子によって弔われています。

1927年(昭和2年)、現在の天神中央公園の南側に福岡県知事公舎が建てられましたが、夜中、当時の大塚惟精・福岡県知事は連日、空誉上人の霊にうなされたため、空誉上人を供養するための祠(または供養塔?)が建立されました。その祠が1984年(昭和59年)の地下駐車場建設のため撤去されたため、この地に祠があったことを示す石碑が設置されました。その石碑には「空誉上人供養塔跡」などではなく「福岡藩刑場跡」と記されています。ちなみに福岡藩の刑場(死刑執行をする施設)があったのは、現在の中央区天神ではなく博多区下呉服町です。


噴水の裏手に石碑があるが…


フェンスに囲まれた中に石碑・墓石がある


福岡藩刑場跡石碑 解説板


「福岡藩刑場跡」の石碑は解説板の左後方に仮置きされている


前方:墓石 後方:天神中央公園の銘板石


なんか、このままではいけないような気がする…

墓石が3基ありますが、空誉上人とは直接、関連はないといわれています。ただ、このまま放置せず、なるべく早いうちに元の場所、もしくは新しい場所に設置しなおしてほしいものです。

石碑のあった辺りから移動しました。公園内はペットのマナーを訴える看板がいくつか設置されています。犬🐕や猫🐈などには必ずリードを付けて。ふん💩は必ず持ち帰るように。


犬のフンは持ち帰りましょう!


僕、恥ずかしい―インパクトが強いっす

季節はすっかり冬です。アクロス山の木々も茶色く色づいています。年末年始は寒さが厳しいと予報が出ています。ほんの数か月前は、熱中症が心配なほど暑い毎日だったのに…。まさしく夏は熱帯、冬は亜寒帯な日本ですね。


冬のアクロス山


冬の福岡市役所


玄関 門松は市内の山地で採取された竹を使用