日別アーカイブ: 2017年7月2日

続・志賀島 2

火焔塚

火焔塚は、鎌倉時代の1281年(弘安4年)の元寇(弘安の役・蒙古(モンゴル)襲来)の際、高野山の僧侶のグループが、この地(筑前国那珂郡志賀島村)において護摩を焚き、筑前国博多に侵攻したモンゴル軍の降伏を祈祷したと伝えられています。

火焔塚へは、県道542号線の周回道路(金印海道)から志賀海神社の大鳥居がある参道(参道沿いは住宅地)を通り、志賀海神社へ向かう突き当りの階段より左へ行きます。道路は山に入りますが、そのまましばらく道なりに進みます。途中、三叉路(Y字路)に出ますので、右側(潮見公園方面)に進みます。Y字路には市が作成した火焔塚への案内板があります。


解説板 東区大字志賀島(しかしま)

2011年当時、火焔塚方面の道路は状態が悪く、アスファルトの舗装も途中からなくなっていました。悪い状態の道路を進むと、左手に「火焔塚登り口」の石柱があります。石柱から奥に見える祠まで進みます。祠の右手に階段がありますので、階段を上がります。途中、右手(崖側)に「敵国降伏元寇史跡 志賀島火焔塚由来 鎮護国家撃敵法火の址」と記された石板が見えます。


道路の左手 登り口を進む 奥は祠A


突き当り 祠A 画像右に塚の頂上への階段がある


階段を上がる


道なりに進むと石板が見える 階段上に見えるのは祠B


石板 敵国降伏元寇史跡

塚の頂きには、祠がいくつか建っています。当時、わたくしたち以外はだれもいなかったので、撮影時点ではひっそりとした、寂しげな印象でした。


階段を上がったところ 右:祠B 左奥:祠C


右奥:祠C 右前(緑色):祠D・潮見地蔵尊 左前(緑色):祠E 左奥:祠F・波切不動尊


祠F・波切不動尊 右奥:祠C 右手前(緑色):祠E

火焔塚において、最も重要な祠は「波切不動尊」(祠F)でしょうか。全体的に簡素な造りの祠において、波切不動尊の祠が一番立派な造りとなっています。この波切不動尊の祠より左手に進むと、祠Gがあります。祠Gは「不動明王」がまつられています。この祠Gよりも左側への通行は不可能です。


祠G・不動明王


祠G・不動明王 これより左側へは通行不可能

祠F・波切不動尊の裏手に位置する、祠Gより先(画像左方向)は道がないため通行不可です。進むことができないので、引き返します。階段は滑りやすいので、行きよりも慎重にならざるを得ません。火焔塚登り口の石柱のところまで戻ったら、左に折れて、潮見公園まで向かいました。

撮影はすべて2011年


お出かけマップ 火焔塚