日別アーカイブ: 2017年2月15日

福岡縣護国神社

福岡県護国神社は、1868年(明治元年)、福岡藩主・黒田長知が戊辰戦争で殉職した藩士をまつるために招魂社を設立し、祭祀をおこなったのが始まりです。明治維新から太平洋戦争までの福岡県関連の英霊約13万柱をまつっています。

護国神社の創建時に、延べ15万人のボランティアによって、3000本の献木で約46000ヘクタールの緑地(鎮守の杜)が造成されました。また、ヒノキ製の大鳥居は高さ13メートル、柱の直径160センチメートルで、ヒノキは台湾から輸入され、博多港に陸揚げされました。

護国神社は大濠公園の南に位置します。神社の周囲は緑が深く、福岡市の都心部に建立されていることを忘れそうです。


ヒノキの大鳥居


ヒノキの大鳥居


ヒノキの大鳥居

護国神社の狛犬は国体道路に面した「ヒノキの大鳥居」のそばの1対と、境内の「コンクリート製の大鳥居」のそばの1対、計2対が建立されています。画像はヒノキの大鳥居そばのものです。

狛犬は口を開けている阿形(あぎょう)と口を閉じている吽形(うんぎょう)の2体がペアとなっています。ペアゆえに、ついつい雌雄・男女という目で見てしまいがちです。「阿形がオスで吽形がメス」または「阿形がメスで吽形がオス」といわれる一方、「元々は仁王様がモデルだから2体ともオス」「2体ともたてがみのある獅子だからオス」「性別自体がない」といった意見もあります。

一番よいのは、狛犬のお腹のあたりを見ることですね(*´ω`*)ふふ。ちなみに全国の護国神社の狛犬は阿形・吽形ともにオスといわれています。


狛犬 阿(あ) 口を開けている


狛犬 吽(うん) 口を閉じている

境内をてくてくと散歩します。かなり広いので、よい散歩コースになりそうです。


手水舎


鳥居


社殿 全体 ひな人形が社殿の向かって右側に飾られている


社殿 拝殿


扁額


賽銭箱

2月中旬なので、社殿の向かって右側には「ひな段飾り」が3台、飾られていました。そのうち、最も左にあるもの(画像ではひな壇A)のみ八段飾り、他は七段飾りです。内裏雛は男雛が向かって左に位置するので「関東雛」の飾りかたです。


ひな壇A 八段飾り


ひな壇B 七段飾り


ひな壇C 七段飾り

「平和の像」は1976年(昭和51年)6月に建立されました。先の大戦で戦死した日本兵の家族(遺族)を表しているようです。台座の後方には、2枚のブロンズの板がはめ込まれ、上部には御霊が眠る護国神社を意図した画、下部にはこの像の解説文がはめ込まれています。

解説文:この像は五基のブロンズ像から構成されています。また台座後面のレリーフは、戦死された方々のみたまを象徴しています。男性像は遺された父であり兄であり、女性像は母であり姉妹であり、児童像は遺児です。亡くなられた方々や遺された人々、みんなの努力によって今日の時代が築かれことを表わしています。置かれる場所の雰囲気を考慮して静的な中に深く平和への願いを込めたものです。


平和の像

また、境内には特攻隊戦没者への慰霊のために制作されたブロンズ像「あゝ特攻」が2012年(平成24年)12月に建立されています。


銅像 あゝ特攻


銅像 あゝ特攻 拡大


招魂社鳥居 立ち入りはできない


掘出稲荷神社


六本松側の鳥居 「護国神社前」バス停そば


御由緒板

撮影:2017年2月14日、2月15日