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鴻臚館跡展示館

「鴻臚館(こうろかん)」は古代の外交および海外交易の施設です。全国に3箇所、平安京(京都府京都市)、大坂・難波(大阪府大阪市)、福岡・筑紫(福岡県福岡市)に設けられていました。そのうち、場所が特定され、遺構が残るのは現在の福岡市中央区の「筑紫の鴻臚館」のみです。

鴻臚館は7世紀後半(飛鳥時代)から11世紀前半(平安時代)までの約400年、大陸との対外交渉の窓口として、また、文化交流の窓口として重要な役割を担っていました。688年(持統2年)から1091年(寛治5年)ごろまで存続していました。

鴻臚館跡は1987年(昭和62年)に発見されました。鴻臚館跡の発掘調査は、戦後間もない1951年(昭和26年)から1994年(平成6年)までに11次の調査が行われ、その後も2014年(平成26年)まで調査が続けられています。2016年(平成28年)、遺構は埋め戻され、芝生広場として市民に開放されています。


鴻臚館跡展示館 外観


鴻臚館跡展示館 入場口

筑紫の鴻臚館は「筑紫館(つくしのむろつみ)」と呼ばれ、大陸の唐・新羅・渤海から来日した使節は、まず鴻臚館に入館して手続きを経てから大宰府や都へ向かうきまりでした。


鴻臚館跡展示館案内図


ジオラマ

鴻臚館の施設を復元した建物です。完全な再現ではなく、一部分のみの施工です。足りん頭で想像力をフル回転して、脳内で立派な古代建造物を再現しとりました。


復元建物 正面


復元建物 側面


遺構 右上は復元建物の一部


遺構 奥は復元建物の一部


遺構 画像左より 江戸時代の井戸跡、堀込地業、礎石

平和台野球場の改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の遺構が発掘、奈良時代から平安時代までの出土品も多数発見されました。これら出土品は鴻臚館が廃止されたのちに、そのまま地中に埋められたものでしょうか。日本国内の木簡や瓦をはじめ、ペルシャのガラス容器、イスラムや朝鮮式の陶器、中国の陶磁器などが出土しています。


木簡 奈良時代 8世紀


「伊貴(いき)作瓦」銘瓦 斜ヶ浦瓦窯跡(福岡市西区生の松原4丁目)


出土陶磁器


遣唐使船模型 平安時代 9世紀

筑紫の鴻臚館といえば「トイレ🚽」ですね。鴻臚館跡から8世紀・奈良時代のトイレの遺構が発掘されています。日本最古のトイレの遺跡です。発掘当時、大変話題になったものでした。トイレは汲み取り式、かつ、跨って使用する(いわゆる和式)タイプです。

また、遺構から「籌木(ちゅうぎ)」と呼ばれる木べらも発掘されています。この木べらで用便💩のあとふき取ります。現代でいうトイレットペーパー的なものですね。横にしてふき取るように使います。

(。´・ω・)(←チュウギ)<使用後は洗って再利用? 使い捨て?


籌木(ちゅうぎ)


廃棄物 当時の食生活がみえる

順路にそって進んだ最後(入場口付近)に、「鴻臚館時代の香り」と称したお香が置かれていました。ふたを開けてふたについた匂いを嗅ぐと、ほのかによい香りがしてきました。


鴻臚館時代の香り 黒方(くろぼう) 侍従(じじゅう) 上は解説

今回の記事はこれで終わります。わたしの場合、記事を書いている途中で飽きたり、くたびれるため、書き上げるのに時間がかかってしまいます。もう少しパパパっと記事を書き上げたいです。(*´Д`)💦はあ~

公式サイト 福岡城・鴻臚館