日別アーカイブ: 2020年2月4日

史跡・福岡城跡 その周辺

続いちゃいました~(*‘▽’)<あへ! 「史跡・福岡城跡」の周辺です。なんか、気の向くまま画像を貼って少しだけ記事を書き書きします。

旧母里太兵衛邸長屋門

母里太兵衛とは、福岡県の民謡「黒田節」でも唄われる黒田家の家臣・母里友信(1556年~1615年/弘治2年~慶長20年)のことです。彼は稀代の大酒呑みといわれています。JR博多駅前広場に設置されている黒田武士の像が太兵衛さんです。

この建造物は、その母里太兵衛の屋敷の門です。もともとは天神2丁目(現在の野村證券福岡支店)に母里太兵衛の屋敷跡があり、長屋門のみ現存していました。1952年(昭和27年)ビル建築工事のため長屋門が取り除かれ、1965年(昭和40年)現在地に復元されました。立派な門構えですね。


旧母里太兵衛邸長屋門(復元) 全景


長屋門


長屋門 裏側


解説板


長屋門の左は大濠公園に抜ける道 奥は移築された「名島門」(旧・名島城の門)

平和台陸上競技場(舞鶴公園陸上競技場)

第二次世界大戦終戦後の1948年(昭和23年)、現在の舞鶴公園は、第3回国民体育大会(国体)・秋季大会の会場となりました。そのメイン会場が現在の平和台陸上競技場です。お散歩の当日は、子供たちのサッカーの試合が行われていました。


平和台陸上競技場 遠景

福岡城むかし探訪館

鴻臚館前広場(平和台球場跡地)の対面側に設置されています。館内では福岡城のあらましをわかりやすく伝えるビデオが繰り返し上映されています。床に設置された福岡城を中心としたジオラマは見ものです。


福岡城むかし探訪館 左は撮影ボード「官兵衛ゆかりの地・福岡」

鴻臚館広場(平和台野球場跡地)

福岡城むかし探訪館を出ると、すぐ目の前に鴻臚館広場が広がっています。鴻臚館広場の敷地は飛鳥時代から奈良時代、平安時代まで現存していた鴻臚館の「北館」の施設全体、および「南館」の施設の一部が含まれています。

鴻臚館広場はかつては「平和台野球場」でした。今から71年前の1949年(昭和24年)に建設されました。その48年後の1997年(平成9年)、平和台野球場は老朽化および歴史公園(鴻臚館広場)整備のため閉鎖されました。平和台球場といえば「西鉄ライオンズ」ですね。


鴻臚館広場 平和台野球場の跡地


広場の奥に「鴻臚館跡展示館」が見える


鴻臚館広場 鴻臚館跡展示館は画像右を進んだ場所に位置する

「鴻臚館広場」は恒久的な施設ではありません。現在、福岡市は「国史跡鴻臚館跡整備基本計画」を策定中です。将来は鴻臚館の本格復元整備を行うため、現在は暫定的に広場を整備して来場者が利用できるよう解放されています。

鴻臚館跡展示館

鴻臚館跡展示館は、鴻臚館広場のすぐ南に建てられています。こちらは画像が多いので、次回にアップします。続きますな~(*´Д`)💦


左は鴻臚館広場(旧・平和台球場) 正面は鴻臚館跡展示館